引用をめぐる著作権法と判例

 はぁ~、木村剛さん……、先日の「匿名」の件といい、今回の「引用」の件といい、10数年も前、パソコン通信時代からさんざんとりあげられ、議論されつくされ、その一部についてはネチケットとして浸透し、暗黙の了解事項になっているようなことを、あらためてほじくり返されているように思えて、-「月刊!木村剛」が進み始めました-を読んだら、何だかどっと疲れてしまいました。

 とはいえ、きちんとした裏付けもなく出版物に走っていくさまに何となく危なっかしい感じを抱いたので、著作権法上ではどうなのか正確な知識を仕入れるため、仕事帰りに本屋へ行って著作権法についての本を買ってきてみました。
 一般的に理解されていると思われる引用と転載およびリンクの違いについては、すでに何人かの方が指摘されていらっしゃるので、重ねては触れません。
 著作権法上はどうなのか、といった観点から触れてみたいと思います。

 買ってきた本は、『【新版】著作権法詳説-判例で読む16章-』 弁護士 三山裕三 著  です。
 以下、特に断りがなければ、この本からの引用です。判例については、この本からの孫引きです。


 まず、引用について。
 著作権法上では、引用について明確に定義した条文はありません。引用できる場合については、第2章「著作者の権利」 第3節「権利の内容」 第5款「著作権の制限」のなかの第32条(引用)に出てきます。つまり著作者の権利が制限される場合、すなわち著作者以外が著作者の著作権に縛られずに利用できる場合の規定です。


第32条 1 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲で行われるものでなければならない。


 この第32条1項からすると、引用にあたる要件としては、(1)公表された著作物であること、(2)公正な慣行に合致するものであること、(3)報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内であること、です。


パロディーモンタージュ写真の最高裁判決(最版昭和55年3月28日、判時967号45頁)以降の多数の裁判例は、一貫して適法引用の要件として、明瞭区別性及び主従関係をあげている。いわく、「引用にあたるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用して利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならない」。
         211ページより


 この「明瞭に区別して」は、カギカッコでくくる、文字を小さくする、全体を字下げするなどされて区別できればよく、上記要件(2)の「公正な慣行」については、出所を明示することとされ、現状でも活字印刷物やネットでも、ごく普通に行われていることです。「かつ」以降の、「前者が主、後者が従の関係」つまり「引用して利用する側の著作物」が主、「引用して利用される側の著作物」が従ということについては、分量や性質、内容が判断基準になるという解釈でかまわないと思います。

 以上のことから、引用というためには、引用元を明らかにすること、引用の範囲を明確にすること、分量や性質、内容において利用する側と比べたときに引用はあくまで従である必要があります。ということは、相手側のもともとの文章の分量にもよるでしょうが、かなりの長さの文章を何段落にもわたって、ほぼ全文といっていいほど載せ、それが引用した側のなかで全体の半分近くを占めるのは、引用とはいえないということになります。

 次にインターネット上のblog特有の性質と、出版物との違いについて。
 blogは、トラックバックというリンク機能によって、発言自体はそれぞれの管理する個人サイト上にありながら、リンクによりつながりを持ち、そのことにより発言が集積され、あたかも一つの大きなかたまりのごとく見えるものと言えると思います。
 それぞれがリンクと引用、他人の著作権について配慮し、節度を保つ限りにおいては、各発言はそれぞれが管理するサイト上にあるため、著作権法上の問題は比較的起きにくいと考えます。ただし、そのリンクでつながりを持った各発言が出版物に収録されるということになると、著作権法上はどうか、という点です。

 この点、ラストメッセージ事件(東京地判平成7年12月18日 判時1567号126頁)というものがあり、この判例では「編集物の素材として他人の著作物を採録する行為は、引用に該当する余地はない(他人の著作物の寄せ集めにより構成されているから、そもそも引用には該当しない)」(カギカッコ内は『著作権法詳説』209ページより)とされています。

 トラックバックされた記事を含めて掲載するということになれば、この点はクリアできるのでしょうか。引用とは認められないということになれば、すなわち、断りなしに行えば著作権侵害になってしまうため、個々のトラックバックした記事の作者に個別に掲載許可をとらなければならないことになります。また、ラストメッセージ事件のようなケースに該当しなくとも、トラックバックされた記事をいくつも掲載するということになれば、先に述べた引用の要件に関して、それが木村剛さんの記事との分量と比べどちらが主か、という問題になることも考えられます。

 それから、先に指摘されていらっしゃる方がおられますが、blog固有の問題として、記事を発表してからでも、過去の記事の画面に掲載される書いた日時を変えないまま、将来にわたりいくらでも改変できるという点です。著作人格権というものがありますが、この一つに同一性保持権というのがあります。著作物の内容や題号を勝手に変えたり削ったりさせない権利のことで、引用した側が著作物の改変をしてはならないということなのですが、では引用されたあとで引用された側が文章に手を入れて、元記事を参照にいったら、すでに同一のものと言えなくなっていた場合にはどうかという問題が生じます。もちろん、この場合には引用側には何の問題があるわけもないのですが、一見まるで引用側が改変したかのように見える可能性もあります。
 出版物として出す場合には、どの時点の記録なのか明示し、同一性については、引用・掲載される側も、その記録した日時のものにおいて同一性を了承する、その後の引用・掲載される側の改変などにより同一性が失われた場合には、その引用・掲載側は責任は担保しないとする、などの確認手続が必要ではないかと考えます。

 なお、短歌の升野浩一さんのblogのトラックバックした記事の短歌を掲載するうえでの取り決めは、著作権法上では、短歌や俳句、絵画、写真、図表もしくは図面など、全部を引用しなければ引用の目的を達成できないものについては全部の引用も許されることから、単なるもともとある法的な免責を確認しているに過ぎません。この取り決めを文章主体のblogに適用するのは無理があると思います。

 また、木村さんのblogに限り、というような取り決めや宣言をしたとしても、もともとが著作権法上相容れないのですから、それに気づかずトラックバックしてくる人もいるかもしれないと考えると、あらかじめ包括的な合意を予定する、というのはやはり無理があると思います。

 特に、掲載が引用と評価できないような場合では、個別に掲載許可をとることは、面倒だとは思いますが、さまざまな考え得る問題を回避するうえでも、必須と言えるのではないでしょうか。

 さて、かなり長文になってしまいました。
 ここまで書いて、何なんですが、私は法律の専門家ではありません。どこかおかしいことを書いているかもしれません。その場合、お気づきになられた方は、ご指摘くだされば幸いです。
 木村剛さんには、くれぐれも早急に著作権法の専門の方に、計画されていることに問題点があるかどうか確認されることをおすすめします。

2004 05 13 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク