飴玉

体の表面に出る症状はいまのところ目立ってない。
でも、皮膚科で抗うつ剤と睡眠導入剤の処方をするかと聞かれ断って、ああ自分の症状はそこにも原因があるのかと納得し皮膚の症状が治ってから数年、あれから何が変わったろう。

何も……何も変わっていない気がする。
何より一番大きい経済的問題が手つかずだから。

いろいろな、本当にいろいろな諦めの積み重ね。
ほんの少しずつ心のなかに降り積もる荒廃。
それが現実にも表れて、生活のなかのそこかしこにしわ寄せが出る。

それを醒めた目で見つめる自分自身も同時にいる。
自分の状態がわかるから、知られたくないから巧妙に覆い隠す。
だから密かに進行していって、身近な人間にさえも気づかれないのだろうと思う。

ふとしたきっかけで気持ちを吐き出す機会があっても、相手の言葉を聞いて、やっぱりまだよくわかってないんだと密かにまた諦める。
変なところに抑制がききすぎて言いたくても言えなくて苦しむのだから、察して黙ってさりげなく動いて欲しいと思う。だが、たいていそれは勝手な過大で無理な注文だからできるはずもないとわかっている。損だとも思うがそれが私の性分だから仕方がない。でも期待し、諦め、期待し、諦めしていくうちに、確実に私のなかから日々欠けていくものがあるような気がする。


いまの私は鬱ではないだろう。眠られないわけではなく、もしかしたらそれが自分自身の状態の誤魔化しであるかもしれないが、まがりなりにも熱中できることがあり、仕事も、人と会ったり話したりすることも苦ではない。何より自分自身の状態を把握できている。

でもなお、現実は重い。いまこのときが重い。


ときどき「殺してやる、殺してやる、殺してやる」とつぶやく。
いまはそうしたい相手がいるわけではないのだけれど、そうつぶやく。

もしもそうするときは、たぶん自分で自分を殺すだろう。ふだんの日常と全く変わらず過ごし、メッセージも何も残さず、人からしてみたら衝動的にさえ思えるような唐突さで。
おかしいけれど、そのことを想像してみると心が軽く浮き立つような気さえする。

もしかしたらこれは私にとって、最後、の飴玉なのかしら?

2005 05 28 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク